2011/03/31

scent of tomorrow


明日から3週間ほど、ベルリンを中心にドイツを旅して参ります!
ハンブルグではPPG WAVEのWolfgang Palm氏にもお会いする予定です。そしてまた友人を訪ねに、さらに憧れのメビウスの影をおって、パリへも少し足をのばします。

私自身が希望を失わず、与えられるものがあるなら必要とされた時に与えられる力を、または自分自身が必要な時に自分に与えられる力を失わない為に。旅が栄養となってくれると良いです。今の日本の状況を、外から見るとまた違った見方が出来ると思うよ、とヒロシさんに言って頂いたのが凄く印象的で嬉しかったです。

さて、4月20日に発売されるHiroshi Watanabeさんのアルバム"sync positive"が試聴可能になっております。こちらでお楽しみ下さい

10曲めのscent of tomorrowで歌と歌詞を担当させて頂きました。明日への香り、と言う意味です。歌詞については、また語らせて下さい。

では元気に!行ってきます。

2011/03/21

・・・

3月11日の大震災によって被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。
1人でも多くの人々が、見過ごされる事無く救助され、温かい食事と、安全な場所と、安心が行き届く事を願っております。そして、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。


震災後の一週間ほど、本当にここまでの出来事、感情の変化(感情のダイナミックな変化を全国民が一体化して同時に体験しているのではとビリビリと感じてしまう・・ツイッターを感情的に始終見ていたからでしょう)を今まで感じた事が無く(次から次へと起こる想像を絶する出来事が重なっている訳で、当然ですね)、ただ事の流れの中に身を置くだけでした。

もちろん、今現在も時間との闘いを強いられている方や極限のストレスの中にいる方が多くおられる事を思うと、自分の事を語る事を戸惑います。感情を、被災された方々の方に持って行くと、ただただ飲み込まれてしまう。自分の気持ちを被災者の方のそばにぴたりと持って行く事は私にとって非常に困難な事です。

私も多くの方と同じ様に今まで感じた事の無い様に気持ちが疲れてしまいました。言葉にかえにくいですが、はじめはただ茫然として、次第に自分の事を考える事に追われてしまいました。次々起こる問題がまるで大きな鏡の様に、自分自身をうつしだして行く感覚は初めてでした。恐怖が形を変えてあわられたのでしょうか。

4月からドイツに数週間行く事にしていて、その為に音楽も作って行こうと決心し着手していましたが、震災後は、私の音楽への創造力、想像力はあっけなく壁が塞がった様になってしまいました。今もまだダメなようです。勿論没頭したい思いは常にあるのですが。

音楽などやめにして、看護や治療の勉強をするべきだと真剣に思いました。感情的で子供じみた思いです。その器が無い事が自分には良く分かっているからです。

具体的でしっかりとした支援のシステムに力の及ぶ範囲で協力する事以外は、自分のやれる事・やりたい事は一日でガラッと変わる訳も無く、音楽しか今の所は無いのです。もし私が図書館員だったら、それしか無いのです。もちろんこれから先は分かりませんが。

音楽の出番はあとの方です。人々が想像の余地を埋める事を楽しめるほどの普通の状態になって来た時に、ある一瞬の、一種類の遊び場所として、楽しめるものを少し提供出来たらそれで良いのです。その為に自分の想像を必死に磨いて用意しておく事しか、出来ないなあ、と。

そう思うに至るまで10日ほどかかりました。全く考える事の出来なかったドイツへの旅は、ギリギリの今になってやはり行こうと思える様になりました。もちろんどうして行くのか、覚悟とまでは言わないけれど、きちんと目的をクリアに出来ないのなら行くのは止めようと思っていましたが。

ドイツを訪ねる意思の宣言の様になってしまいました。自分の事、自分の周りの大切な人々、私の感情の及ぶ範囲は実際はそれ以上に広がらないのだろうけれど、自分の身に置き換えて気持ちを察そうとする、という基本的な術と、鳥の様に空から出来事を分別する知恵を絶対に手放さない様にしようと強く思います。


2011/03/10

Sync Positive



昨年からMINGUSSの新しいアルバムのプロデュースをして頂いているHiroshi Watanabeさんの、ギリシャKLIK RECORDSよりリリースする新しいアルバム"Sync Positive"のラストナンバーに、歌と作詞で参加させて頂きました。4月20日に、ギリシャと日本で同時発売です。アルバムについてのヒロシさんの想いはここに。

どの楽曲も美しいだけでなく、大地に深く根をはった揺るぎない力強さが感じられます。とはいえ、アーティストは常に孤独な闘いを独り繰り広げているもので(きっとどの種類の表現者の人も同じだと思いますが)、フッと息を吹きかけられただけでしなしなっとどこかに飛んで行きたくなって、そのまま帰ってくる勇気と言うのはなかなか取り戻せなかったりもすると思います。ただ、どこかへ行っても、何度も自分の軸に戻ってくる事が出来るとそれが糧になって、どんどん太って行く事になるんでしょう。その自分の軸に立ち返った強さが、音に込められていて、私の心を揺さぶります。

こう考えると、一度強烈なパンチでもくらって、どこか遠くに吹っ飛ばされるのも良いのかもしれないと思います。全ては音に。マイルスのトランペットの様に。「俺の肌の色は、俺の名前だ」と言うように!

是非、ヒロシさんの新しい音楽を聞いて下さい。

2011/03/09

optical frequency



先月残念だった事と言えば、この心底気に入った清水児王さんの「クライゼンフラスコ」を2度しか見られなかった事です。作品解説もここにずらっと書きたい所ですが、少し長いので根気のある時に。私にガマンと根気が芽生える事を祈って!そのかわりと言ってはなんですが、清水さんが引用していたバックミンスター・フラーの言葉をばさらに引用させて頂きます。いざ。

「物理学はこれまでに直線を見出していない。ただ波を見出したばかりである。物理学はこれまでに個体を見出していない。ただ高周波の生じる場を見出したばかりである。宇宙は、平行な三次元直交座標に従ってはいない。物理的エネルギーの世界は、常にあらゆる方向に拡散するか、または一点に収束する。 —フラー」

ムズカシイ!と思わないで冷静に読んでみる。

数学をきちんと学んでいないこの頭で5%くらい理解出来るニュアンスで考えてみると、ここには数学や物理という言葉が並んではいますが、そこからイメージする固っ苦しさや、限定されて答えが1つしか無いシャクシ定規なイメージとは全く別の、捉えがたいあやふやな、変化自在なものが、実はこの学問を学んで行くと見えて行くのでは無いかと気付きます。

そこにきっと美術や音楽が生まれるスキマがあるのでは、と。

とはいえ、やっぱり数学はニガテなんですよね、、、残念ながら。

2011/03/01

vestigial


なにかにつけて進化して行く世の中だけども、音楽においては退化を視野にいれて考えている。その場合の退化はローファイになる、とか、全く練習した事も触った事も無い楽器を使って感覚に従って演奏を行うと言う話では無い。(それはすでに進化した先のバリエーションだから)


もっと生命に近くあること、と言うか。全く空気感しか掴めていないのだけど、原始的な知性とか、細胞がもともと持つもの凄いシステムとか、そういうものにとても強く惹かれるので、注目している。


音楽にどうそれがいきるのか、さっぱり分かりません、もちろん。その上、それを退化と呼んでしまうのはおそらく間違いだと思うけれども。「星新一」的な話で言えば、何万年も先に原始人になってしまっている人類を、何万年も昔から来た文明の発達した人類が保護しにくると言う話が思い出されずにはいられない。