2015/02/01

Lebenszeit


ミヒャエル・エンデの「モモ」は、小学生の頃に初めて読み夢中になった物語で、内容もさることながら、その挿絵の世界観に子供ながらに共振し、憧れたものです。

ドイツ語を学び直しているいま再び読み返していますが、やはり1番好きなところは昔から変わらず、時を司るマイスター・ホラなる人物に、モモが「時間」を見させてもらう場面です。その描写がそれはそれはとても美しいので是非本文で味わって頂きたいのですが、つまりモモの見た「時間」とは、生まれては消えて行く、光り輝く美しい花であり、そこには聞いた事の無い様なメロディが流れていると言う様なものなのです。

モモはそのあまりの壮大な美しさに驚き、これはこの世の人間「全ての」時間なのだと思いますが、それはモモただ1人の、彼女だけの時間だったのです。

この様に、もしもその人の持つ時間全てを何か別の形で「見える」様にする事が出来たら、生きて消えて行く事に対してまるで違う感じ方が出来るのではないかと、ふと思いました。もちろんひとりひとりが持つ時間は実際は何年何十年と幅が違いますが、、そしてそれも終わってみなければ分からない事ですが。

例えばもし、生きる時間の全てを別の表現に置き換える事が出来たら、、たったの一歩先・一歩先しか拓けて行かない様な時間を表現出来たら、きっと素晴らしいだろうな・・・と夢を見て、今年も新たな一年が始まりました。

歳を重ね、世が複雑になればなるほど、ただ音楽に耳をすますと言う事を忘れてはいけない、と言うあるジャズピアニストの言葉が、少し分かる様になって来ました。
 

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